私の幻聴と、おじいちゃんの話

若い頃、ほんのちょっとだけ幻聴に悩まされた時期があった。20歳頃のことだと思う。

 

幻聴というと、聞こえるはずのない声や音が聞こえてきて恐ろしくなり、パニックになって周りを心配させるようなものだと思いがちだが、(人によってはそうかも知れない)私の場合はかなり自覚的で冷静なものだった。

一人暮らしのアパートで、静かに本を読んだりご飯を食べている時に、まず、お風呂のお湯を溜める音が「大勢の人々が私の方をみてザワザワと噂話をしている声」に聞こえてきた。ザーザーと言う音と、ザワザワという空気感が入り混じって、それが私のところまで襲いかかってくるという感じだった。これはなんだ。耳をほじくっても治らないし、ひとりでいるので怖くなった。困ったなと思い、水を止めたら収まった。なんだ、水の音の聞き違いかな。

そんなことがあってまた少したったある日、友人が遊びに来ていた時にまた同じような現象が起こった。今度はエアコンの音だった。「ねえ、今わたしエアコンの音が人が喋っているような音に聞こえる」と冷静に友人に説明した。説明しながら、ああ、自分は冷静だな、幻聴ってこんなものかな、と思った。しばらくしてもザワザワ襲いかかって来るような感じが抜けないので、「今ね、なんか聞こえるんだよ、変だと思うかもだけど、まあ、いつか消えるかも」と言った記憶がある。

その後も何度か聞こえてくるようになった。多分半年間か、一年か。たまにやってくるその幻聴を、今日はなんの音だ?今日は鍋の煮える音か!と自覚的に受け入れていたと思う。そのうち、もうそんな幻聴は聞こえなくなって、しまいにはそんなことがあったのなんて忘れていた。今はすっかりそんなことはない。

 

家族にも誰にも相談することなく終わったことである。

 

f:id:nasner:20210501172914j:plain

 

そして数年後に実家に帰り、祖母が亡くなった時に家族の中から出てきた話だが、「おじいちゃんは若い頃から精神分裂病(今は統合失調症という)で、ずっと幻覚や幻聴に苦しんできた。そんなおじいちゃんを晩年ずっと介護してきたおばあちゃんはさぞ苦労しただろう」という話だった。

そうだ。昔おじいちゃんはよく変なことを言っていたな。遊びに来た知り合いのお兄さんと楽しく冷蔵庫を漁っていたら、「誰だ!おまえは!機関銃で撃つぞ!」と言われた。子どもだった私もビビったけど、そんなこと言われたお客の兄ちゃんはさぞかし困惑しただろう。

ある時は、老犬が我が家に迷い込み、家の中心の座敷に座り込んで動かない。それをみたおじいちゃんは大声で泣き出した。

若い頃は、統合失調症のために、大学での学問も道半ばであり、思想的にも問題があったらしく「君は里に帰りなさい」と教授に諭されたという話も聞いた。

そしてその病気のために(職業柄かもしれないが)戦地へ赴くこともなかった。

 

祖父の若い頃に何があってそういう病気になったのか知るよしもないが、いろいろなことを思い出すと、現代に比べて理解も少なく、ある意味差別されるような統合失調症という病気で苦しんできた祖父の悲しみはやりきれなかったものがあるだろうと思う。

若い時の精神の圧迫なのか。思想的に偏っていた(と父から聞いた)祖父の根底に何があったのか。

そういう祖父は、若い頃から油絵を描いたり短歌を読んだりしていた。描きためた油絵は晩年自ら処分してしまい、一枚も残っていないという。しかし多くしたためた短歌は残っている。

 

”車椅子見つけ出したり八重桜”

ちょうど今日みたいな季節に祖母と花見でも行って、迷子にでもなったのかしらん。

 

”七夕にせがまれて竹盗みけり”

いやいや、おじいちゃん、ぬすんじゃだめだよ(笑)

 

”孫連れて文無し歩き祭りの日”

お小遣い持たずに祭りに行ったのかおじいちゃん!

 

”文に凝り上りし丘よ水仙花”

水仙が大好きだったもんなあ。

 

昭和の日々が頭の中を巡る。

心が苦しいときに、絵を描いたり歌を詠んだり、そんなことをしてバランスを保っていたのかもしれないなって、なんとなく思う。今はネットなんかで自作をアピールする人が多いかもしれないけど、そういう時代ではなかったし、そもそも、作品とは、静かに自分の中にしたためて味わって、そして自然や家族や思想を内々に納めていく作業なのだろうなと思う。ほんと孤独な作業だ。

 

一方、私が幻聴を聞いた20歳前後というのは、たぶん一番感受性豊かな時期で、ひとりで何か悶々とする日々が続いていたころだった。苦しいという自覚はなかったけれど、震災やオウム事件や、天災や不況など、なかなかに目まぐるしく、先の見えない不安で寂しい時期だった。

本当にひとりでどうやってバランスを取っていたのだろう。毎日どうやって暮らしていたのだろう。そう考えると、いま思い出すのだが、人に見せられない日記を書いたりしていた時期と重なる。あとになって、誰かに見られるのは耐えられないと思って捨てた。それくらい自分の内側を黒いところまで赤裸々に書かずにはいられなかった。内に、内に、何かにあがいていたのだろう。そんなときの幻聴だった。

でも、あの頃の悶々とした生活が何か今の私を支えていると思えることも確かにある。

 

f:id:nasner:20210501173954j:plain

 

人はいつでも、不安で悶々とするものである。いつでもハッピーとは行かない。その中で、どの状態が正常なのかは決められないものだ。そんなことも思う。

 

おじいちゃんと病気。私とおじいちゃん。私と幻聴のあの頃。