時代

iPhoneが14万円もするということで、どうしてそんなに高額なものを買えるのか、買える人は羨ましいなと思う反面、学生のうちになぜそんなものが持てるのかと、いらない老婆心を持つようになってしまった。

10万円というお金の価値を、みんなどう思っているのだろうね。人それぞれの価値観なので文句は言えないんだけど。

学生のとき寮を出て一人ぐらしを始めようとしたときに、両親に、これで生活用品を揃えなさいと、10万円をもらった。とにかくこんな大金を手元に置いとくのは怖いので、すぐに従兄に助けを求めたら、京都・四条寺町の電気屋街で電化製品一式を揃える手伝いをしてくれた。その時初めて「べんきょうして」という言葉を知った。「安くしてくれ」という意味らしかった。従兄はとにかく、必要なものを安く手に入れるために、根気よく何軒も店を回ってくれて、私のために電化製品をお得に買い求めてくれたのだった。おけげでそれが元で、その後6年間の生活は豊かなものになった。

確か買ったのは、ミニ冷蔵庫・ガスコンロ・洗濯機・温めるだけの電子レンジ・炊飯器。残りは初年度の敷金・礼金にしたと思う。別で仕送りを頂いていた。優先的に使ったものは必要なものだったけれど、唯一テレビに関しては、後回しであった。おかげで一人暮らしを始めた直後に発生したオウムによる地下鉄サリン事件の詳細や、阪神淡路大震災のその後の情報は友人宅に転がり込んで情報収集するという具合になってしまった。

そんな話を、10万も使ってiPhoneを買う娘にしたところで、人それぞれの価値観だといわれるであろう。お母さんだって、そんなんで一人暮らしして贅沢だと言われるにきまってる。だけどスマートフォンにそれだけお金をかかる感覚が私にはわからない。

そして、そういわれれば、かつて私もよく祖母に言われてきたものだった。あなた達の時代は恵まれているんだ、戦後はね、食べ物もなくてひもじくて、赤ん坊に乳もやれんで、じゃがいもをすりおろした汁を赤ん坊に飲ませとったと。モノがなんにもなかったから、どんなものでも直して繕って、大事に使ったと。

そうだね、いつでも私たちは時代を生きている。そこに生きた時代しか知らないのだね。「あんたたちの時代は恵まれてるよ」。そう言われて育った私も、子供たちにそう言うのだ。

でも本当に、そう言える時代が続くのだろうか。親より子の方が時代的に恵まれているという時代が続くのか。そうであってよかった時代の、流れのその価値観も、ついには崩れ去る時代がやってくるのではないか。いやもう崩れ去った時代がやってきているはずなのに、なにか空虚なものの上に必死にバランスを取りながら私たちは生活しているのではないか。

そんなことを思う初秋の夜更け。